上級者向けの記事として初めて書いてみます。ドキドキです。
初めに申し上げると私の絵の表現は写真の知識から成り立っています。15年程前に写真の専門学校に入学したことから始まり、最近までカメラを扱う専門職に就いていました。
写真をやめ、鉛筆画を始めたきっかけは写真の表現に限界を感じたことと、デジタルカメラやスマホが普及しすぎて写真そのものの楽しみがなくなってしまったこと。
写真で表現できないなら描けばいいじゃないか。
そんな気持ちで始めたわけですね。
さて、今回の記事も私なりの考えで書いています。
タイトルではモノクロ写真との違いと書きましたが、広い意味でのモノクロ写真との違いについてです。
モノクロ、白黒、グレースケールはそれぞれ意味が異なりますが、一般的に色のない写真はモノクロ写真と呼ばれていますので、ここではモノクロ写真とまとめさせていただきます。
表現できる階調の幅
白黒の濃淡を表現した画像をグレースケール画像といいます。グレースケール画像は、1画素を8ビットで表し、色情報は含まず明るさ情報のみを含んでいます。8ビット画像では、濃淡を2の8乗=256階調まで表すことができます。画素値0が黒、画素値255が白になります。
カラーのデジタル写真を編集ソフトでモノクロ化する、もしくはデジタルカメラで初めからモノクロモードで撮影するというのはほぼ同じ意味で、元々ある情報からカラー情報だけを抜き取った状態がモノクロ写真のデータとなります。
ざっくり言うと、デジタルのモノクロ写真は濃さの異なる256段階の点が大量に集まって構成されています。
この情報の集合体をモニターで表示する、あるいはプリンターで出力すると私たちはそれがモノクロ写真であると認識します。
(モノクロフィルムは仕組みが全く違うので今回は触れません)
さて、それに対して鉛筆で表現できる階調の幅はどうでしょうか?
鉛筆の種類には限りがありますので、どうあがいても256段階作ることはできません。
様々なテクニックと目の錯覚を利用して豊かな階調であるように見せかけているのです。
鉛筆画に限ったことではありませんが『写真のようなリアルな絵』を追求するならどれだけデジタル写真に近い階調が出せているか(見せかけているか)を意識する必要があります。
どの鉛筆でどの階調が出せるかを把握することが表現の幅を広げることに繋がるはずです。
点の数
デジタルカメラを使ったことがある方は『画素』という言葉を聞いたことがあると思います。
デジタルカメラやコンピューターなどで画像を表現する場合の一番小さな要素を「画素」といいます。この「画素」1つ1つが、色や明るさなどの情報を持っています。1つずつの形は正方形や長方形です。それら「画素」がたくさん集まって、絵や写真などを表現しています。
最近のデジタルカメラは1000万画素、2000万画素は当たり前でそれらのカメラで撮影された写真は膨大な情報量を持ったデータということになります。
これを鉛筆画に置き換えるとどうでしょうか。
鉛筆画は細かく大量の鉛筆の粉が紙に付着して作られている絵画です。
鉛筆の種類・筆圧・擦った回数・紙の種類で付着する粉の量が変わります。
これらの画像は左から
・6万画素のデータ
・200万画素のデータ
・鉛筆画
を一部トリミングし、同じカメラで撮影したものです
(構図にちょっとズレがあるのは撮影ミスです)
私は鉛筆の制作に携わっておりませんし、顕微鏡で見た訳ではないので鉛筆の粉の大きさや量などはわかりません。
ですが、鉛筆画で再現(コントロール)できる点の数は何となくわかります。
私の感覚で言うとA4のケント紙に鉛筆で描いた場合、コントロールできるのはせいぜい100万画素程度ではないでしょうか。
理由としては私が使用しているPCのディスプレイが1920×1080で約200万ドットのPCモニターを見ながら描くことがほとんどだからです(カメラの画素の大きさとモニターのドットの大きさが違うので意味合いが少し異なりますが)
どんなに細かく描いてもモニターの通りには描けないですし、ボカしてそれっぽくしているだけの場所もたくさんあります。
ちなみにですが、デジタル写真の世界では『画素補間』という技術があり、これは画素が足りない際にデジタル処理によって強制的に画素を増やすして映像の見映えを良くする技術です。
何となく自分がやっているのはこれを人力で行っていることに近いような気がします。
・・・こんなことを考えて何になるかって?
意味なんてないですよ。ただ、現状の自分ができることの限界を知っておくのは大事だと思います。
3000万画素のでかい写真を持ってこられて、「これと同じクオリティで描いてくれ!」なんて言われたら全力で断れますからね(笑)
点の隙間
他の記事でも書いたことがありますが、写真と鉛筆画で一番違いが出るのはこの点だと思います。
どんな写真をみても構いません。プリント写真でもスマホの画像でも何でもいいです。
明るくて真っ白なところ以外、白い隙間ありますか?
多分ないと思います。
写真というのは基本そのようにできています。
デジタル写真は『ノイズ』などの特性によって全ての画素が正確に再現できない要素もありますが、それでもほとんどの場合、何かしらの点は作られるので隙間が出るというわけではありません。
鉛筆で普通に絵を描くと擦れた隙間ができます。紙には目というものがあり、表面は凸凹しているからです。
この隙間があればあるほど、写真っぽくなくなっていきます。
写真っぽく見せるには隙間をできるだけ少なくする必要がありますが、これにも色々方法があります。
真っ黒なところは力一杯、濃い鉛筆で描けば隙間はなくなりますので写真っぽくするのは簡単です。しかし絶妙なグラデーションを隙間をなくしつつ再現するのは難しいです。
鉛筆画のグラデーションにおいては、『鉛筆の濃さ』と『粉の量』の2つで再現するのが基本となりますが、隙間を出さずにグラデーションを作るとなると、前者の方が重要となります。
つまり、鉛筆を使い分けつつ粉の量はほぼ限界まで付着させる。
理屈上ではこれが解答になります。
私の場合、一か所ごとで付着可能な粉の量の内、8割程度の量で描いているように感じます。
よくある失敗として、後からある部分をもっと濃くしたいのにその部分は紙の目が埋まってしまい、それ以上粉が乗せられない状態に陥ることです。なので8割程度に抑えるように習慣付いているのかもしれません。
しかし、カメラとかプリンターとかってすごいですよね。
手書きなら何十時間もかかって作る映像を数秒で作れちゃうんですから。
反射率の違い
4つ目としては反射率の違いです。
他の記事でも触れましたが、鉛筆は種類によって反射率が異なります。
私は描写部分が反射することを『テカり』と呼んでいます。
モノクロ写真の場合はコピー用紙、写真用光沢紙、マット紙、様々な紙に印刷するケースはありますが、同じ紙の中でインクの反射率が異なるということはありません。
例えば写真用光沢紙に印刷された写真を光に当ててみると、明るいところから暗いところまでキラッと同じように反射するはずです。
ところが鉛筆画は使った鉛筆の箇所ごとに反射率が変わるため、写真と比べると違和感が生じます。
何も描かれていない紙は当然一定の反射率なのですが、鉛筆の粉が紙に付着することで反射する度合いが描いた箇所ごとに上書きされてしまうということですね。
他の記事でも紹介しましたが、これらは場所によって鉛筆の反射が変わることを説明するために撮影した鉛筆描写です。どちらも同じ絵ですが、撮影する場所を変えただけです。
反射率の異なる鉛筆画混ぜてグラデーションを作った結果、光の角度や強さが変わると右の写真のようにトーンジャンプ(階調飛び)したように見えてしまいます。
人間の目は物体の質感を判断する際に反射率に頼っている部分が大きく、木・金属・布等の素材を判別する際に反射率の違いから判別する場合が多いです。
ある程度遠くから見ても布と金属の違いは判別できますが、プラスチックとガラスの違いは判断が難しいですよね。これはプラスチックとガラスの反射率が非常に似ているからです。
このように反射率による判別というものは日常生活で常に使われており、絵画においても人間の目が敏感に反応する要素の一つです。
鉛筆画においても極端に反射率が異なる部分が点々としていると写真らしくは見えなくなると言えます。
鉛筆の特性上の問題なので、描く段階でこれを気にしながら制作することは非常に難しいです。カーボン鉛筆は反射を抑えられますが、濃さの問題から全ての箇所をカーボン鉛筆で描くことは現実的ではありません。
後から何かしらでコーティングするなり、額装の際にアクリル板を使うなりすれば目立たなくすることはできますが、根本的な解決とは言えないと思います。
この記事は写真との違いを挙げるという趣向なので一応書きましたが、私も理解できていない部分が大きいので鉛筆の反射率については今後もっと調べていきたいと思っています。
終わりに
以上4つがざっくりではありますが、私の考えるモノクロ写真と鉛筆画の違いです。
他にも画像解像度や収差など、デジタル写真の要素で触れたい部分はありますが、長くなりすぎるのでそれはまた別の機会にしたいと思います。
他の記事でも言いましたが、写真のように描くことが鉛筆画の魅力ではありません。
リアルに描きたいのに描けないという方のみが参考にしていただけると幸いです。
長くなりました。
ご愛読いただきありがとうございました。